
AIが開く職務評価とジョブ型人事の明るい未来【前編】
多くの企業が関心を寄せている「社員のキャリア自律の促進」や「スキルをベースとした人材配置・人材育成」ですが、施策としてうまく回っていない現状があります。この要因の1つには「職務(ジョブ)ごとに要求されるスキルの明確化」があるようです。本記事では、当社パートナーエグゼクティブ・人事コンサルタントの伊藤 善廣氏にお話を伺い、前編と後編の2回に渡って、その背景から具体的解決手法まで明らかにします。
【本記事(前編)のポイント】
〇日本はこれまで職能資格制度がベースであり、社員の職務やキャリアは会社が決めるスタイルだった。
また仕事を兼務する人材も多く、職務型・ジョブ型制度に対する関心は高まってきているものの、
なかなかこれまでの制度から抜け出せない状況にある。
〇欧米、特にアメリカでは、「仕事の大きさ(ジョブサイズ)」や「職務の内容」に基づいて基本給が決まり、
業績のみで評価・ボーナスが変動した。しかし、業績のみの評価ではチームワークの重要性軽視や
組織全体のモラル低下の可能性があることから、「コンピテンシー評価(行動評価)」も導入されるように
なった。
1. はじめに
令和6年8月28日に政府が発表した「ジョブ型人事指針」では、日本企業および日本経済の更なる成長のために、職務(ジョブ)ごとに要求されるスキルを明確にし、社員自らの意思でキャリアを選択することが急務であると明示されました。
これにより、職務ごとに要求されるスキルを明確化していくことは、キャリア自律促進等の重要施策の実行や浸透、成果創出に大きく影響していくと考えられます。そして実際に、多くの企業が社員のキャリア自律の促進やスキルをベースとした人材配置・人材育成に対して関心を寄せています。
しかし実態として、キャリア自律の促進等がうまく施策として回っていない現状にあります。
今回は、「職務をベースに、戦略的な組織づくりと主体的な個を育成する」をテーマに、当社のエグゼクティブパートナーでもあり、人事コンサルタントのプロフェッショナルとして活躍する伊藤 善廣氏にお話を伺いました。

Interviewee
伊藤 善廣
ビジネスコーチ株式会社 パートナーエグゼクティブ・人事コンサルタント
株式会社スリーシーズ 代表取締役
30年余にわたり、企業人事責任者または経営幹部として、人事業務及び経営人事全般を経験。 採用から処遇、評価、人材育成、退職制度に至る人事マネジメントサイクルの適正化、特に会社の経営状況に則した人件費分析や賃金制度設計を得意分野とする。
企業買収から統合、リストラクチャリングにまつわる様々な経営人事の実務経験に基づく人事制度・戦略のコンサルティングを行う。
現在、ビジネスコーチ株式会社のエグゼクティブ・コンサルタントとして、人事コンサルティング及びコーチング、企業研修企画・講師を務める。国立私立大学経営大学院への出講、労務行政研究所等経営人事研究機関への寄稿、出講多数。
2.日本特有の人事制度
キャリア自律の促進等、日本の企業において施策がうまく機能していない背景には、日本の人事制度体系と、それによって職務記述書(JD-ジョブディスクリプション)が整備されていない企業の多さが挙げられます。
では、日本の人事制度とはどのようなものであり、JDの未整備にどのような影響を与えているのでしょうか?
伊藤氏
日本の人事制度は、歴史的に非常に独自性が強く、いわゆるガラパゴス化とも言える特徴を持っています。その根幹を成すのが「職能資格制度」です。これは、戦後の高度経済成長期に、当時の政府が民間と産学共同で設計した制度であり、形が変わりながらも、現在に至るまで多くの企業で採用されてきました。

設計当時は、今の”ジョブ型人事”にもつながる、欧米型の「職務給」や「職務評価」も検討されました。しかし、日本の経済成長に伴い、企業は長期的な雇用の安定を優先し、「終身雇用制」と「年功的な賃金体系」を確立しました。つまり、職務(ジョブサイズ)ごとに給与やボーナスを決定するのではなく、年齢や経験に応じて給与が自然と上昇していく仕組みが主流となったのです。
この仕組みの中では、社員は会社の指示に従い、与えられた仕事・求められた仕事を遂行することが求められ、それに対して一生懸命に取り組む人材を評価するようになりました。そのため、JDといった明確な職務定義を設定する必要がなく、「この人材は何ができるのか?」といった職能にフォーカスした運用が続き、「職能資格制度」という日本特有の制度が確立されたのです。
そして、この”職務を会社が定める”というスタイルであったために、日本企業の多くは、社員のキャリア形成を企業主導で進めてきたのです。
今の時代のように、社員が「自らキャリアを選択する」といったキャリア自律が求められていたのではなく、「企業の方針に従い、キャリアを積み上げていく」という考え方が尊重され、根付いていったということですね。
伊藤氏
1990年代以降、日本経済は「失われた30年」とも呼ばれる停滞期に入りました。経済水準が高まる一方で経済成長は鈍化し、企業は年功型の人事制度を維持することが困難になりました。その結果、能力主義といった職務で評価するやり方が取り入れられるようになったのです。さらに、戦後から60~70年経ち、日本でも多様な働き方、多様な価値観といったダイバーシティへの対応が求められるようになりました。そのような背景から、職務を定義し、適した人材を配置する欧米型の「ジョブ型人事」や「キャリア自律の促進」に対して関心が高まっていったのが、今の日本の姿です。
欧米型の「ジョブ型人事」や「キャリア自律の促進」に関心の高まる今の日本。しかし、これまでの「職能資格制度」のやり方から抜け出し切れていない状況にあります。
伊藤氏
元々、職務で評価する文化がなく、JDもない日本の企業がいきなり職務定義をしてJDを作成すること自体にハードルの高さがあります。また、日本は職能資格制度における職能性があまりにも強く、会社から与えられた仕事を広くこなせる人材が評価される風土が今でも残っており、一人の人材に対する職務定義の明確化や職務範囲の設定が難しい。さらには、担当している仕事が多岐にわたる人材がいるため、一人ひとりの職務職責を明らかにするという大変さがあり、これまでのやり方から抜け出し切れていない背景があります。特に中小企業であれば、部や課が設けられていたとしても、一人の人が複数の部門をまたがっていたり、専門職にもかかわらず、総合職の業務を担っていたりと、垣根を越えた仕事をするケースが多いですね。
つまり、日本の高度成長期を支えた職能資格制度が、現代の能力主義や年功からの脱却を図り、職務型、ジョブ型の制度にパッとシフトして切り替えるということができないのです。そして、この切り替えが難しいがために、キャリア自律の促進等が施策としてうまく回りづらい状況にあるということです。
3.職務で判断していた欧米のジョブ型の人事制度
日本独自の制度が色濃く残る中、日本が取り入れ始めている欧米型の人事制度とはどのようなものなのでしょうか?
伊藤氏
これは私が評価者研修でもよくお話ししていることですが、欧米、特にアメリカでは、個人の属人的な能力や資質、性格などは評価の対象外でした。以前の欧米では、行動評価やコンピテンシー評価といった概念はなく、業績評価が唯一の基準。つまり、成果がすべてであり、業績を上げた人は大きなパフォーマンスボーナスを受け取ることができる一方、業績が振るわなかった人はボーナスがゼロになるというのが一般的でした。
この点、日本とは大きく異なります。日本では、夏と冬のボーナスが一般的に支給されますよね。しかし、欧米では業績賞与が基本となっているため、会社の業績が悪いときには誰もボーナスをもらうことはできず、業績が良いときに初めて、業績の高い人から順にボーナスが分配されるという仕組みになっています。
つまり、欧米では「仕事の成果」に基づいてボーナスが決まり、日本のように一律で支給されるものではないということですね。
伊藤氏
また、欧米では基本給の決定方法も異なります。欧米では、成果といったアウトプット以外の属人的な仕事は評価基準に含まれていないため、基本給は「仕事の大きさ(ジョブサイズ)」や「職務の内容」に基づいて決定されます。つまり、その仕事をこなすためにどの程度の職責と仕事の大きさが必要になるのかを照らし合わせて基本給を決定するのです。
そして、一度設定された基本給は、仕事が変わらない限り、原則として変動しません。何年その仕事を続けていても、仕事内容や大きさ、責任の範囲が変わらない限り、給与は一定のままです。一方で、給与の差は業績賞与によって生じるため、業績が良ければ高額のボーナスを得られる仕組みです。
しかし、こうした欧米型の人事評価制度には問題もあります。業績に応じて賞与(ボーナス)が大きく変動するため、個人は自身の業績向上に集中する傾向が強まり、チームワークの重要性が軽視されることがあります。このように、能力主義で人材を業績のみで評価をすることで、結果として、「自分さえ成果を出せばよい」という利己的な考え方が広がり、組織全体のモラルが低下する可能性があるのです。
こうした問題を受けて、欧米でも「コンピテンシー評価(行動評価)」といった新たな評価基準が導入されるようになりました。これは、単なる成果主義に偏らず、個人の行動や能力、職場での振る舞いなどを総合的に評価する仕組みです。
たとえば、成果は上げるものの、周囲に悪影響を与えたり、組織のルールを守らなかったりする人がいる場合、そのような行動も評価の対象とすることで、組織の健全性を保つことが可能になります。
現在、グローバル企業においては、欧米型・日本型の枠を超えて「成果評価(業績評価)」と「コンピテンシー評価(行動評価)」の両方をバランスよく取り入れ、総合的に評価する傾向が強まっていますが、こういった点が、職務で基本給を決めていた欧米と、職能で基本給を決めていた日本の経緯の違いですね。

日本と欧米では、元々の評価軸が大きく異なっており、そのために、日本では社員のキャリア自律の促進やスキルをベースとした人材配置・人材育成がうまく進みづらいということです。

4.日本企業の変化と問題
職能での評価から職務での評価へ意識が高まりつつある日本ですが、実際、今の日本はどのように変化しているのでしょうか?
伊藤氏
職能評価の文化が特に強く、仕事の定義が曖昧であった当時と比較すると、現在は、職務の定義が明確になってきています。これは近年、生産性向上や効率化、また人材不足といった課題に直面する企業が増える中で、組織運営における職務・職責の明確化に対する意識が増しているためです。これに伴い、企業の等級制度なども精緻化されてきています。
職務・職責の明確化に対する意識が増す日本企業ですが、ある問題も生じているようです。
伊藤氏
職務定義の明確化が進みつつある企業も散見されるようになりましたが、目標管理制度の導入も相まって、縦割り組織の弊害も浮き彫りになってきています。
具体的には、目標達成に必要な仕事の責任範囲が定められることで、それを超える業務に対して消極的になる社員が増えている傾向があります。以前より職務定義が明確になってきているものの、まだJDが十分に整備されていない企業が多い中で、「あなたの目標はこれです」「あなたの仕事はこれです」と伝えられた社員は、「自分はこの仕事だけやれば評価される」と解釈してしまうのです。
このような状況では、決められたフレーム内での評価が中心となるため、それを超えた仕事に取り組むことが損だと考える社員が出てくる可能性があります。また、目標に設定されていない仕事を遂行しても評価されないと感じることで、自発的な行動を控える風潮が生まれてしまうのです。
そのため、現在の日本企業においては、より明確かつ柔軟な職務定義を行うことが、組織の健全な成長にとってますます重要になっているといえます。
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