「市場価値を高めたい若手」は、企業にとって脅威ではなく好機である

― 元大手メーカー人事・経営企画責任者、木村誉勧氏に聞く、若手とともに成長する企業になるための人材戦略 ―

人材育成に真摯に取り組む企業ほど、こんな戸惑いを抱えていないでしょうか。

「大切に育てているのに、若手が辞めてしまう」
「評価制度を見直しても、不満が解消されない」——。

ある調査による2025年版の転職理由ランキングでは、「個人の成果で評価されない」が総合3位、20代に限れば2位に入り、実に40.7%の転職者がこれを理由に挙げています。自分の市場価値を早く高めたい。そう考える若手と企業との間に、いま何が起きているのでしょうか。
大手メーカーで25年以上にわたり組織開発の企画・運用に携わり、現在は合同会社tomosibi partners代表として企業の経営・人事課題に伴走する木村誉勧氏に、お話を伺いました。
(聞き手:Coaching Times編集部)

若手と企業の「すれ違い」は、どちらかが悪いのではない

――「個人の成果で評価されない」という理由で若手が離職していく。この現象を、木村さんはどうご覧になっていますか。

まず申し上げたいのは、これは若手の意識の問題でも、企業の姿勢の問題でもない、ということです。雇用をめぐる前提そのものが構造的に変わったことによる「すれ違い」なんですね。
かつては、良い会社に入れば会社が定年まで守ってくれる、という前提がありました。その時代には、会社に人生を預けるという働き方は合理的な選択だったんです。ところが今は、その前提が崩れている。若手はそれを肌感覚で知っていますから、「会社に依存するのではなく、自分の価値を自分で高めなければ」と考える。
一方、企業側の人事慣行や評価の運用は、以前の前提のまま続いている部分が残っている。双方に悪意はないのに、期待のズレだけが静かに蓄積していく。これがすれ違いの正体だと思います。 構造が見えれば、打ち手は必ずあります。特に歴史とブランドを持つ企業にとって、この変化は脅威ではなく、むしろ持てる資産を活かす好機だと私は考えています。

市場価値志向は健全である――私自身の原体験から

――そもそも「市場価値を高めたい」という若手の価値観自体を、木村さんは肯定的に捉えていらっしゃるそうですね。

はい、極めて健全な価値観だと思います。私自身の原体験からお話しすると、社会人になって間もない頃に山一證券や長銀の破綻を目の当たりにしました。優秀な先輩たちが入っていった、絶対に潰れないと思われていた会社が潰れる。「いい大学に入っていい会社に入れば安泰」という前提は幻想だったと、世代として思い知らされたわけです。
だから私は20代のうちに、「この会社にいれば安泰」ではなく「日々自分を高めてくれる会社」という基準でキャリアを選び直しました。今でいう人的資本の考え方を、当時の私は直感的に実践していたのだと思います。
人材を「資本」として捉えるなら、従業員とは「自分という資本」を会社に預けてくれている存在です。投資家が投資先に価値の向上を求めるのが当然であるように、働き手が自身の市場価値の向上を会社に期待するのも、市場原理として自然なことなんですね。

――企業側から見ると、その価値観はどう映るべきでしょうか。

追い風だと捉えていただきたいですね。「自分でキャリアを作る」という自律的な志向を持つ若手は、成長機会さえ提示できれば、依存型の人材よりはるかに高いエネルギーで動いてくれます。問題は志向そのものではなく、その志向と現実との間にあるギャップの扱い方なんです。

すれ違いの正体――若手が抱える「3つの思い込み」

――ギャップの扱い方、というのは。

市場価値を高めたいという方向性は正しい。ただ、その過程では、多くの若手が陥りやすい「3つの思い込み」があります。これを経営や人事の皆さんが補助線として持っておくと、若手の行動がぐっと理解しやすくなると思います。

1. 市場価値は「すぐ高まる」
近道があるように思えてしまう。しかし実際には、価値が高まるには相応の時間がかかります。

2. 高まりが「自分に見える」
仮に着実に価値が高まっていたとしても、それは本人には見えないんです。ここには一定の忍耐が必要になります。

3. 価値は「自分で決められる」
これが最も重要です。人事評価も市場価値も、認めるのは常に他者なんですね。自分では成果を出しているつもりでも、評価する側から見ればそうではない、ということは往々にしてある。

この3つの思い込みを抱えたまま、評価されることを働くモチベーションの第一軸にしてしまうと、必ず苦しくなります。「頑張っているのに評価されない」「この部署では成長できない」と、性急に異動や転職に向かってしまう。冒頭のランキングの背景には、こうした構造があると見ています。

ブランドがあるからこそ生まれる「死角」

――伝統ある大手企業では、こうしたすれ違いはどのように現れるのでしょうか。

大手企業には、規模とブランドゆえの構造的な「見えにくさ」があります。責めているのではなく、これは仕組みの問題です。
採用力のある企業は、母集団形成にも内定充足にも困りません。数字の上では、人材獲得は常に成功しているように見える。すると、「事業戦略の実現に本当に必要な人材が、必要なポジションに揃っているか」という"質"の答え合わせをする機会が、構造的に生まれにくいんです。
人が採れているのに現場で人材のミスマッチが起き、育てた若手が「ここでは成長実感が持てない」と離れていく。量の充足が、質のギャップを覆い隠してしまう。これはブランドのある企業が陥りうる、いわば贅沢な死角なんですね。
実際、大手金融機関や大手メーカーで職種別採用やジョブ型への移行が始まっているのは、この答え合わせに着手した動きだと私は見ています。ポジションごとに必要なスキルを定義して採用してみると、初めて「本当に必要な人材の獲得難易度」が見える。そこから企業の学習が始まるわけです。

――若手側の3つの思い込みと、この死角が重なるとどうなりますか。

若手は「価値が高まる実感」を求めているのに、企業側はそれを提供できているかどうかを測る物差しを持っていない。双方が真面目に取り組んでいるのに、すれ違いだけが深まる。これが早期離職の典型的なメカニズムです。
逆に言えば、打ち手も明確です。一つは日常の運用。評価のフィードバックを期末の一発勝負にせず、月に一度でも上司と部下が認識を合わせる場を持つ。毎月すり合わせていれば期末に認識が大きくズレることはありませんし、若手の思い込みも対話の中で自然に解けていきます。制度の大改定よりも、こうした日常の運用のほうが効くことが多いんです。
そしてもう一つ、より本質的な対策が「打席」の設計です。

大手は打席の「数」で勝てる――問われるのは回し方

――「打席」とは何でしょうか。

若手が挑戦し、経験を積める機会のことです。若手が求める「成長実感」の正体は、突き詰めればバッターボックスに立てているかどうかなんです
私自身、20代で管理職相当の仕事を任され、部下を持ち、会社の退職金制度の改定という経営判断に近いテーマを企画から役員提案まで一気通貫で経験させてもらいました。外部の大規模セミナーへの登壇機会もいただいた。「打席に立てたことで自分の価値が高まった」という実感が、そのまま会社への信頼になったんです。
ここで強調したいのは、打席の「数」において、大手企業ほど恵まれた存在はないということです。多様な事業、グループ会社、海外拠点、新規事業——中小企業には用意したくても用意できない打席が、社内にすでに大量にある。
問題は数ではなく「回し方」です。年次や在籍年数を待たせる運用のままでは、せっかくの打席が若手に回る前に、彼らは外に機会を探しに行ってしまう。
抜擢の仕組み、社内公募、グループ会社への若手登用——打席を意図して早く回す設計ができれば、ブランド力と成長機会を兼ね備えた、他社が追随できない採用力・定着力が生まれます。これは、大手企業だからこそ実現できる、大きな強みだと思います。

「囲い込み」から「輩出を誇る」へ

――「成長機会を与えて市場価値が上がったら、辞めてしまうのではないか」という不安に対してはどうでしょうか。

そのお気持ちはよくわかります。ただ、人材の流動化はもう所与の条件です。であれば、囲い込みを前提とするのではなく、流動化を前提とした上でどう選ばれ続けるかに発想を切り替えたほうが、結果的にうまくいきます。
かつてのメガバンクや大手総合商社からは、日本を代表する経営者が数多く育ちました。本来これは「うちが輩出した」と堂々と誇っていい実績です。
「あの会社の出身者は戦力になる」という評判は、巡り巡って現役社員の誇りになり、採用力になります。
私自身、独立した今でも、古巣の出身者とビジネスパートナーとして仕事をご一緒する機会があります。社外に活躍の場を広げた卒業生と、新たな立場で協働できることも少なくありません。そうした経験を通じて、人材を輩出してきた企業であることは、本来もっと誇っていい価値なのではないかと感じています。
最近はアルムナイ(卒業生)採用も広がっています。一度外に出た人が、外部環境を知った上で戻ってくる。自社をまったく知らない人材を採るより、よほど早く戦力になります。退職者を「卒業生」として関係を保つ企業が増えているのは、とても健全な流れだと思います。

――「辞めさせない」ではなく「辞めた後もつながる」という発想ですね。

そうです。そして面白いことに、輩出を誇れる会社ほど、実は人が辞めなくなるんです。成長機会が本当にある会社なら、外に出なくても打席は回ってくるわけですから。

経営・人事の皆さんへ――「市場価値を高めたい若手」を企業の成長力へ転換するために

――最後に、読者である経営者・人事責任者の方々へメッセージをお願いします。

人的資本経営は、一過性の流行語ではありません。人材獲得競争のルールが「看板」から「価値を高めてくれるか」へと移りつつある、大きな地殻変動です。
そしてこの変動は、歴史とブランドを持つ企業から何かを奪うものではなく、むしろ組み合わせの問題だと私は考えています。ブランドが持つ信頼と、豊富な打席。この二つを意図して掛け合わせられた企業は、人材獲得競争において文字通り無敵になります。逆に、ブランドの力だけに頼り続けると、量の充足の陰で質のギャップが静かに広がっていく。分かれ目は、気づいて動くかどうかだけです。

経営・人事が問い直したい3つの視点

1. 必要な人材を見極める視点:私たちは「採用人数」ではなく、「事業戦略に必要な人材」を見ているだろうか?

2. 挑戦機会を設計する視点:私たちは若手が挑戦できる「打席」を十分に用意できているだろうか?

3. 成長を実感させる視点:私たちは若手が自らの成長を実感できるような、継続的な対話の場を設計できているだろうか?

市場価値を高めたい若手は、脅威ではありません。一人ひとりが市場価値を高め、その成長が企業の成長につながる。そのような関係を築ける企業こそが、これからも選ばれ続ける企業になる、私はそう考えています。

◆合同会社tomosibi partners 公式ホームページはこちら
https://www.tomosibip.com/

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